夢

53日目

平等

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みなさんこんにちは、そしてこんばんは。


パラリンピックが始まり、競泳を観戦しています。

様々な障害を抱えた選手たちの迫力のある泳ぎは、観ていて圧倒されます。



さて今回のブログは、「イギリス大学入試」について思い出しながら書いていきたいと思います。




【 相互関係 】




オックスフォードの語学学校での生活も終盤を迎え、

いよいよ本題の「大学入試」の時期が始まりました。



大学に必要な「志望動機書」の作成や

IELTS(英語検定)取得は全て現地で行いました。



初めは何がなんだかよくわからず、、周りを見ながら

なんとか必要な書類作成や申請を行っていました。。。




「志望動機書」は500字〜800字(英語)以内で

なぜ志望校に入学したいのかを書いたものでした。



日本の大学入試に「志望動機書」があるのかわかりませんが、、

会社に就職する時に履歴書の「動機」の部分に書く内容を5倍くらいにしたものでした。



大学の施設設備、教員、モジュール内容、大学と自身の将来性について含めた内容の

動機書でないといけないというルールがあったのを今でも覚えています。




この小論文とIELTSのスコア、そして日本の高校の成績を、希望する5つの大学に提出し

面接の連絡を待ちました。



この3つで面接の連絡が来なければ、不合格ということになります。。



周りの子達の中には、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学に出願し

面接の連絡がなかったという子も何人かいました。

そういう場面を一緒に共有し、とてもシビアな仕組みだな…と感じていました。



でも、面接までいかなかった子達はそこでくよくよせず、

次の第2、第3、第4志望に気持ちを切り替えていました。



ある子は、「この大学が一方的に私を落としたわけじゃなくて、この大学に私が合ってなかっただけ。」と言っていたのも覚えています。(結構ポジティブだな…と当時は思いました…)



その後何度もこういう言葉をイギリスにいた時に聞きました。

聞くたびに、世の中の人権や社会のバランスを考えさせられました。。




「大学」は「生徒」に学びに来てほしい。

「生徒」は「大学」に学びに行きたい。



だから、



「大学」が「生徒」を学ばせてあげる。

「生徒」が「大学」に行ってあげる。



ということになるのは、おかしい。




でも、それがおかしいと思わない人もたくさんいる。

実際、イギリスでこういう言葉を聞く前は、私もそれが普通だと思っていた。


日本には上下関係を意識しないいけないという目に見えないルールがある。

そういう社会で生きていると、不思議と「学ばせてあげる」という言葉が普通に聞こえてくる。




でもそれは、世界から見たら貧しい事実だとも今では思う。




「大学」「生徒」が

「会社」「働く人」に変わったとしても、

「社会」「人々」に変わったとして、






その相互関係が「一方的」に変わってしまった瞬間に、

個々の中に壁ができてしまうのだろうな…と、ひしひし痛感していました。







はい、今回のブログはここまでとします!

次回は、はたして大学から面接の連絡が来たのかどうか?!その後のことを書いていきたいと思います!




いつも最後まで読んでくださりありがとうございます☆

また来週お会いしましょう٩(ˊᗜˋ*)و ♪