夢

22.5日

人種

Identityis_アートボード 1.png

みなさんこんにちは、そしてこんばんは。

今回のブログは、予定を変更して「最近私の頭の中にある想い」をここに記しておきたいと思います。前回のブログの続きを待っておられた方には申し訳ないです…。今感じていることを忘れるうちにここに書いておこうと思い、急遽予定変更しようと思います。



【人種別グループ】

みなさんもご存知の通り、ここ最近「人種差別」が世界で大きな問題として取り上げられています。「人種差別」自体は私が生まれる前から今までずっと絶え間なく起きている「事実」ですが、今やっと、この社会で注目され出してきたと感じています。


正直、日本人が日本で暮らしていると、そういう「人種」の差別は全くと言っていいほど感じないと思います。日本はアジア圏の島国で、他の人種と触れ合う機会が少ないということがその理由の一つでもあるのかもしれません。でも、人種差別は確実に日本にも存在していて、日本人の私たちが経験しないような体験を、日本に住んでいる外国人の方は経験しているのだと思います。


でも、そんな日本人の私が海外に一歩足を踏み入れてみると

周りの景色は一変して、様々な人種や民族が一緒に生活している風景が私の目に飛び込んできました。


多様性をみんなが受け入れているのかと思ったら、決していつもそうではないということにも気づきました。


私がアメリカに高校留学中、なんで?と違和感を感じた日常風景がありました。それは、



「グループが人種で分かれている」こと。



日本の高校には1種類の人種(日本人)が学校生活を共にしていて、性格や部活、趣味や見た目(痩せている、可愛い、かっこいい、イケてる、オタク、スポーツ、音楽…など)でグループが分かれていたのを覚えています。今でもそうかはわかりませんが。。少なくとも私が見た日本の学校社会のグループ性はそういう感じだったと思います。


でも、私が生活していたアメリカやイギリスでは、グループが人種で分かれていました。


白人の生徒たちは白人同士で


黒人の生徒たちは黒人同士で


ラテン系の生徒たちはラテン系の人同士で


アジア人の生徒たちはアジア人で集まる習性があると気がつきました。


少し異様な光景だと感じていましたが、その後、オックスフォードの語学学校にいた時にその理由の1つを見つけた気がしました。それは、


「同じ人種の人と一緒にいることで、安心感やお互いの理解が生まれやすいのかもしれない」



ということです。決して「人種差別をお互いにしているからグループで分かれてしまうわけではない」と気づいたことを今でも覚えています。



はい!少し長くなってしまったので、今回はここまでとします!

そんな実体験を次のブログでは書きたいと思います。

いつも最後まで読んで頂きありがとうございます。(ぺこり)

ではまた来週お会いしましょう☆