夢

20日目

多様性を受け入れてみる

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みなさんこんにちは、そしてこんばんは。


今月は横浜ハンドメイドマルシェに出店するので、その準備で日々忙しくさせていただいています。作品を商品にすることは新鮮ですがどこか資本的で、実際に作品を商品として売ることがどういうことなのか、準備をしながら考えさせられています。。


さて今日のブログでは、前回のブログの予告通りアメリカ留学中に経験した「人種差別と私の感じた葛藤」について少しだけここに書いてみようと思います。個人的意見として受け取ってくださればと思います。



【 人種、多様性、どうにもならない葛藤 】


アメリカの高校留学色々な出来事を経験することができましたが、

それと同時に、様々な「葛藤」を経験しました。

それは、自分自身の性格的なことだったり、周囲の人とのコミュニケーションのことだったり。


その中でも一番辛いと感じたのが「差別」に対する葛藤です。


自分自身の性格的なことは、私自身が変わればどうにか乗り越えられることだったのに対して、「差別」は自分だけでは変えられないような、今まで経験したことがないような大きな壁でした。




私が感じた「差別」にはいくつかの種類があったように感じました。


「人種」「性別」「体格・顔立ち」「ステータス」「文化」など。。


特に「人種」と「文化」の差別意識は、一番心に突き刺さりました。

なぜなら、私が生まれてからずっと長い間自分の中で大切に培ってきたものに対して、


「日本人はロボットみたい」

「アジア人てみんな同じでしょ?」

「中国人と日本人って何が違うの?」

「アジア人ってホビットみたい。」


など心無い言葉を平気で浴びせられ、日本人/アジア人だから見下されたりからかわれたりすることが日々あったからです。



本当は人種に「位」なんて存在しないはずなのに、高校生活でいつも見る風景には、白人>黒人>アジア人みたいな見えない「人種の位」がつけられているように感じました。


見えないけれど、私の心には残りました。

すごく悔しい気持ちとどうにもできない失望感を今でも覚えています。


海外で生活する上で、多分この先もずっとこういう気持ちと付き合っていくのだろうと思いました。(今では、それがアーティスト活動の糧になってくれると感じています)



日本人であることや日本人として培ってきた考え方や習慣は

無理やり変えようとしてもすぐには変えられない。変えたくない。

誰かのために変えるべきことでもないと私は思います。


白人だって、黒人だって、ラテン人だって、ユダヤ人だって、アジア人だって、みんな一緒。

個々が持っている「違う」文化や考え方をお互いが受け入れ合うことが、多様性に適応することだと私は思います。




アメリカ生活で、アメリカ人と実際に暮らしてみて、彼らと意見が合わないこともあったし、理解できないこともたくさんありました。


でも、だからといって彼らを見下したり侮辱することは絶対に許されない。

それは、想像する以上に人の存在意義を傷つける残酷な行為だと感じました。



「違う人種だから、理解できないから、ばかにしていいや。」なんて絶対に思ってはいけない。



私はこの「差別」という経験を通して、こういった考えを心に刻んで、

これから様々な人種の人たちと関わっていきたいと思います。




では、今回のブログはここまでとします。


次回は、ついにアメリカ留学終了!帰国後の日本の高校生活で感じたことや気づいたことなどその時のことを少しずつ思い出しながら書いていこうと思います!


いつも最後まで読んで頂きありがとうございます。(ぺこり)

ではまた来週お会いしましょう☆